2. 石道寺(素朴・重要文化財十一面観音像)
2. 石道寺(素朴・重要文化財十一面観音像)
地名は長浜市木之本町石道(いしみち)と読むが、寺の名前は「しゃくどうじ」と言う。地元の人たちからは、「いしみちの観音様」と呼ばれ親しまれている仏像がある。
渡岸寺の国宝・十一面観音像を初めて拝観して湖北地方の高い文化に驚かされた私は、それから時を経ずして訪れた石道寺で、再び驚かされることになる。
前方から車が来たらどうやってすれ違えばいいのだろうか?と不安になるような細い坂道を、車はゆっくりと上っていく。両側には民家の軒が連なっていて、道の端を清らかな水が流れ落ちている。
これから私はどんな場所に連れて行かれるのだろうか?微かな不安が胸を過ぎった。こんな集落の奥に、本当に観音様はおわすのだろうか?
やがて集落が尽きるところに小さな駐車場があった。ほんの数台しか駐(と)めることができないささやかなスペースである。普段は訪のう人も稀な静かな土地であるのだろう。
小規模な谷を隔てた向こう側の山の麓に、小ぢんまりとした建物が見える。あの小堂が石道寺の本堂であることはすぐにわかった。
長閑な山里の風景である。
私は周囲の空気を大きく胸に吸い込んで、一つ、深呼吸をした。季節はまだ早春で、木々の緑もなく殺風景な色彩のなかではあったが、この土地の空気そのものが私にはとても気持ち良く感じられた。
石道寺。
神亀3(726)年、延法上人の創建になるという。奈良時代が始まってまだ間もない時期に、このような辺鄙な場所に寺院が建立されていたことに驚きを禁じ得ない。しかもその小さな寺院を、延暦23(804)年に伝業大師最澄が十一面観音を祀ることで再興した。
その後、再び荒廃していた同寺を護国寺(京都)の源照上人が再興し、文和3(1354)年に山門などの堂宇を整備するとともに、天台宗から真言宗への転換がなされて現在に至っている。
今では長閑な山村の風景を彷彿とさせる閑静な佇まいであるが、奈良時代から平安時代にかけてのこの地域一帯は、己高山(こだかみやま)(923m)を中心とした山岳信仰の修験地として栄えていたと言う。
石道寺のほかに、法華寺、観音寺、高尾寺、安楽寺の5つの寺院を総称して、己高山の五箇寺と呼ばれている。
今の素朴なお堂の姿から想像することはなかなか難しいが、この石道寺も、往時は38宇の僧坊と20口の衆徒とを擁する大規模な寺院であったと記録されている。
これらの五箇寺は近江国の北東に位置している。鬼門に置かれ近江国を守護する役割を担っていた。
これら五箇寺の中心地にあたる古橋地区は、「近江のまほろば」とも呼ばれている。まほろばとは、優れたよい土地を意味する「マホラ」が語源で、「マホラ」な場所が「マホラバ」であり、転訛して「まほろば」となった。
三方を山に囲まれ、南方に開けた平野部の中央にあたるのが古橋である。古来、大陸からの先進文化が伝来し定着した土地であるという。6世紀末から7世紀前半のものと思われる箱型の製鉄炉跡が確認されており、この地域にかつて高い技術を持った大陸文化が存在していたことが実証されている。
おそらくは敦賀や福井あたりに渡ってきたのだろう。先進技術を持った渡来人たちが京との往復の途中で居住に適した古橋地区に定着し、そして湖北の誇り高い文化の築き手となっていったのではないか、と私は想像している。
渡来人たちが湖北の地にもたらしたものは、製鉄の技術だけではない。仏教の教義や仏教美術なども、この時に大陸から伝わったものではないだろうか。湖北地方に美しい仏像が多数存在しているのは、日本固有の文化に程よく大陸の文化が融合しているからではないかと私は考えている。
湖北の文化には、どこか遠い大陸の匂いを郷愁として感じ取ることができる気がする。
今の、豊かな自然に恵まれた、人の住処も稀な山村風景からは想像できないけれど、古代の古橋地区は、近江国のなかでも特段にモダンな文化を持った先進地域だったのだろう。
この古橋を拠点として、己高山の山岳地帯に点在していた寺が、五箇寺を中心とした密教寺院であった。
今の質素な佇まいの石道寺観音堂は、ここから1㎞ほど山中に建立されていたお堂を、明治年間に移築したものだそうだ。
38宇もの僧坊がひしめき合っていたという往時を想うと、今昔感は否めない。大きな歴史のうねりの中で取り残されていった石道寺の時の流れに思いを馳せながら、小川に架かる石の橋を渡り、ゆっくりと左手にカーブしながら続いていく石段を上っていった。
遠景に杉林を配し、楓の木々に取り囲まれるようにして丘の中腹に建つ本堂(観音堂)は、入母屋式の高い屋根を持つ古式豊かな建物だ。紅葉の季節には大勢の紅葉狩り客で賑わうと言うが、季節を外すと訪れる人もほとんどなく、寂寥感漂う古寺となる。
本堂の右側の小さな建物で拝観料を支払い、靴を脱いで本堂に上がる。
ふと視線を上に向けると、私の目の前に現れたものは、えも言われぬ素朴なお姿と表情をされた十一面の観音様だった。
そこには、向岸寺の国宝・十一面観音像のような華やいだ艶めかしさはない。むしろその対極にあるような純朴な観音様が、我が眼前に静かに立っていらした。
石道寺の観音様が渡岸寺の観音様と同じようなタイプの観音様であったなら、私はさほど驚かなかったかもしれない。湖北地方の観音様に共通の特徴だと捉えればいいからだ。ところが、向岸寺の観音様とは全くタイプの違う観音様が石道寺にはおわして、これがまたすばらしい観音様であったことに、私は度肝を抜かれた思いだった。
時をあまり経ずして、2つの異なるタイプの秀逸な観音様を目の当たりにしたこと。
私は、湖北地方の持つ孤高の文化に尊崇の念を抱かざるを得なかった。それが、京都や奈良などの、歴史があり人口も多い都市に残されているのなら、理解がしやすかった。ところが、こんな人里離れた山の中に、高い文化の成熟度を示す仏像が何気なく存在していることに、驚きを禁じ得なかった。
この二体の観音像を見た後に私は、長年にわたって築き上げてきた仏像観が根底から崩れていくのを、しかしむしろ心地よい思いで感じていた。そして、偏った情報や狭い知識により作り上げられた先入観に長い間囚(とら)われていた自分の狭量を恥じた。
この石道寺のご本尊である重要文化財の十一面観音像は、平安時代中期の作と目されている一木造りの立像である。高さが173㎝というから、渡岸寺の国宝・十一面観音像よりは少し背が低い勘定になる。
左手に蓮の花が入った首長の水瓶(すいびょう)を持ち、右手はだらりと下に垂らされ、今にも手を差し伸べようとしているかのように手のひらを正面に向けている。仏の深い慈悲を表わす与願印である。
頭上に小ぢんまりとまとめあげられた十一の小面は、渡岸寺のそれよりも小振りである。お顔全体のイメージが地味に見えるのは、やや平面的なお顔の彫り方と、頭上に乗せた小面のせいなのかもしれない。
一方で、まるで少女の髪飾りのように頭の両脇から垂れ下がる珱珞(ようらく)や胸元の飾りものなど、素朴な表情と雰囲気とを持つ観音像でありながら、高い装飾性を兼備していることがたいへんに興味深い。
さらに、よく目を凝らして口元を見詰めてみると、口紅をつけたかのように、そこだけほんのりと紅色(べにいろ)が残されているのを見出すことができるだろう。もともとこの像が、極彩色に彩られていた名残りと思われる。
そういう意味では、石(いし)道(みち)の観音様は、渡岸寺の十一面観音像よりも意外とお洒落な観音像だと言うこともできそうだ。
装飾性は豊かであるが、けっして華美ではない。純朴で、ほのぼのとしていて、そして温かい雰囲気が観音堂全体に伝播している。その中心にあって、落ち着き払った表情で何事かを語りかけてくれるように立つ観音像を見ていると、限りない安心感が心の中に拡がっていくのを、私は不思議な思いで感じていた。
どれくらいの時が流れただろうか。
私は、観音堂の中にすっかり溶け込んだ存在である観音像の前に坐ったまま、この場にいることの心地よさをいつまでも味わっていたかった。
私が感じている心地よさは、もちろん、観音像の持っている根源的な慈悲の力によるものであるのだけれど、そんな観音像を村の人たちがたいせつに守り続けてきたという、観音像と村人との心の交流が大きな位置を占めているようにも思えてくる。
五箇寺の一つである石道寺という、かつて存在した大きな寺は今はない。修験者という特別な存在の人たちのものであった往時の石道寺に代わって、幾多の艱難(かんなん)の末に村に残されたものは、素朴な村人たちの信仰の対象としての石道寺だった。
村人たちは今でも、交代で小さな観音堂とその中におわします観音像とをお守りしているのだという。
空調設備の整ったコンクリート造りの観音堂に「展示」されている渡岸寺の十一面観音像はむしろ別格である。渡岸寺観音像の対極に位置するような石道寺の十一面観音像は、身近に存在している仏様として、親しみと尊敬の念とをもって村人たちから接せられている。
普段着の信仰とでも言えばいいのだろうか。素朴な観音像に相応しく、素朴な信仰の雰囲気がたまらない。私が感じた心地よさとは、きっとこのことだったのだろうと思い当った。しかもそのことを、観音像ご自身も、快適に感じていらっしゃるような気がする。
秋の季節の石道寺の周辺は、早春の光景とは別世界である。
訪のう人も稀だった山寺が一転して、多くの紅葉狩り客で賑わう観光名所となる。楓の木々が観音堂の周囲を取り巻くように配されていて、深い紅や鮮やかなオレンジ色などの葉が微妙に色合いを変化させながら観音堂を彩っている。
石道寺周辺の紅葉
色の洪水のような艶やかな景色である。
この季節だけは、十一面観音像は紅葉に主役の座を譲らなければならない。たくさんの紅葉狩り客が訪れるけれど、残念ながら本堂に上がって観音像を眺める人の数はそれほど多くはない。
紅葉を背景にした観音堂に端座して、深まり行く秋の季節を肌で感じながら観音像と向き合うのも悪くない趣向である。観音堂の周りを取り巻く観光客たちの喧騒がやや耳障りではあるが、周囲の賑やかな雰囲気の中では観音像も華やいだ表情に見えるのは単なる目の錯覚だろうか?
石道寺からさらに奥まったところにある鶏足寺跡にかけての一帯の紅葉は、本当に心が洗われるように美しい。一口に赤色と言うけれど、様々な色合いの赤があり、それらの赤色が絶妙のバランスで混ざり合っているのだ。
逆光を通して色が幾重にも重なった紅葉を見上げるのは、なお美しい。心に沁みる風景である。いしみちの観音様と燃え立つような紅葉と。私の脳裏に深く焼き付けられた湖北の記憶の一つである。