比叡山一日回峰行挑戦の記 その2
居士林研修道場
いよいよ、その時が訪れた。
一日回峰行の受付のために研修道場である居士林の玄関を入ったその時から、私の一日回峰行の修業が始まる。
集合時間の16時までにはまだ30分以上あったけれど、早めに道場に入って落ち着きたいと思い、私は案内表示に従って西塔の釈迦堂から居士林へと進む道を歩いて行った。
居士林は、釈迦堂から思いのほか近いところにあった。
やや上りになっている釈迦堂脇の小道を歩いて行くと、正面に白い壁の大きな建物が見えてきた。
これが居士林かと思ったら、「居士林研修道場 研修の受付は右奥の建物へお越しください」と記載された大きな看板が立てられていて、その看板の手前にも「一日回峰行受付会場」と墨書された立て看板が置かれている。
周囲に歩いている人は誰もいない。ひっそりと静まり返っている林の向こう側に、やはり白い壁の二階建ての建物が見えた。
<居士林>
次第に高まっていく緊張感を感じながら、その白い建物に向かっていく私の足取りは重くなっていく。
玄関の右脇には、「一隅を照らす運動研修道場」「比叡山居士林」と墨書された木の板が掲げられていた。そして戸の左側には先程の立て看板と同じく「一日回峰行受付会場」と書かれた紙が貼られている。
私は恐る恐る、引き戸を開けて中を窺った。
声を掛けたが誰も応答する人がいない。正面にまっすぐ廊下が伸びていて、一番手前の開け放しになっている畳の部屋に私と同じ参加者と思しき人たちが坐っているのが見えた。
靴を脱いで下駄箱に入れ、控室と思しきその部屋に入って指示を待つことにした。
畳の上に荷物を置き、腰を降ろしてから部屋の中を見回してみると、すでにかなりの数の人がいることがわかった。
今回の募集人員は50人とインターネットの案内ページに書かれていた。その数から考えると、受付時刻の30分前にも拘わらず集合のペースは相当に早いような気がした。
驚いたことに、参加するのは年配の男性ばかりかと想像していたのだが、意外と女性が多い。しかも、グループで参加している若い女性たちも結構いた。
一日回峰行の厳しさをどこまで理解して参加しているのかわからないが、女性が多数参加していることにちょっと安堵した。他人のことを気遣う余裕はないけれど、みんな無事に怪我なく一日回峰行を満行できたらと思った。
控室での沈黙の時間がしばらく続き、やがて受付開始時間の16時になって廊下に置かれた長机のところで受付が始まった。
私たちは、開閉式のチャックが付いたビニール袋と小さな紙切れとお経などが印刷された「坐禅止観」というタイトルが付された小冊子とを受け取った。
受付の僧の指示に従い、財布から千円札を1枚取り出すとともに、小さな紙切れとお経の小冊子とに名前を書き込む。
氏名を書いた小さな紙切れは、財布やカメラなどの貴重品とともにビニール袋に入れて僧に預けた。
手元には、千円札と小冊子とが残った。
小冊子は、これからの研修で事あるごとに取り出して使用することになるので、肌身離さずに携行するようにと言われた。
千円札は、明日の一日回峰行にて万一途中でリタイアするような事態となった場合に、山下からケーブルカーでここまで戻って来なければならないので、その時に使うお金であるとの説明を受けた。
これも、無事にここまで帰って来るまでは大切に持っていなければならないものである。
リタイアした時のことまで考えられているということは、過去にそういう人が少なからずいたということに違いない。
改めて、今回の修行の厳しいであろうことを想像した。
受付を済ませた人は、女性は1階の小部屋に振り分けられ、男性は2階の大部屋に行くようにと指示された。
木の階段を上って2階に行くと、大きな広間が2部屋繋がっていた。
窓際に腰を下ろして荷物を置く。
だだ広い部屋の壁や窓に沿って、受付を済ませた人たちが少しずつ張り付いていく。
部屋の中央部にはスクリーンがセットされていて、千日回峰行に関するビデオが放映されていた。
見るとはなしに見ているうちに、やがてそのビデオも途中で消され、スクリーンが取り片付けられる。
これから入所にあたっての注意事項を伝えるので、部屋の中央に集まるようにと伝えられる。
やがて、1階に割り振られていた女性も2階に上がってきて、担当の僧の紹介や今後の日程、それに注意事項などが伝えられた。
控え室の中での飲食は禁止する。1階にお茶を用意しているので、飲みたい人は飲んでもよい。ただし、使用した茶碗は自分で洗って元の場所に戻すこと。
トイレは1階の奥にある。使用したスリッパは、元の位置に戻しておくこと。また、点けた電気は必ず消すこと。
自分の身の回りの荷物は1箇所にまとめ、整理整頓しておくこと……。
こまごまとした注意事項が続く。
ここは比叡山延暦寺の研修道場であるから、すべては延暦寺の僧の生活と同じように行ってもらう。
一言で言うと、そういうことだと理解した。
基本的には、自分のことは自分で行う。他人に迷惑をかけるようなことはしない。他人のためになることは率先して行う。何かを使えば必ず元の場所に元通りにして返す。
一つ一つのことは極めて道理のあることであり、とりわけ難しいことを言われているわけではないけれど、とかくルーズな生活に慣れてしまっている身には、やや窮屈なようにも感じられた。
しかし好き好んで修行の場に飛び込んだのだから、そのくらいのことは当たり前であり、注意事項はきっちり守らなければいけないと思った。
ひと通りの注意事項の説明が終わった後は、受付時に渡されたお経などが書かれた小冊子を取り出すように指示を受ける。
この後で入所式が行われるとのことで、その際に読み上げる「一心頂礼」という言葉を練習し、その後で食事の開始時に読み上げる「食前観」と食事の終了時に読み上げる「食後観」という言葉を練習した。そして最後に、般若心経を声を出して読んだ。
ふりがなが振ってあるけれど、途中で読み間違えずに読むことはなかなか難しい。
次に、かなりの長い時間をかけて、夕食時の作法についての説明が行われた。
入所時に渡された「坐禅止観」と書かれた小冊子は、裏返すと「食事作法」という別のタイトルが付された小冊子になっている。
その裏表紙に記載された注意事項から僧の説明は始まった。
曰く、
- 伝教大師のたまわく「道心の中に衣食あり、衣食の中に道心なし」と。
- 食事の作法は適確、静粛しかも機敏なるべし。
- 食事においては言語はもちろん一切の音声あるべからず。
- 食器の位置を乱さず、香菜の器も一々手にとって食すべし。
- 着座、展鉢、さば、洗鉢等の諸作法はすべて隣席の上座にならうべし。
その時にはそれぞれの言葉の意味するところを表面的にしか理解することができなかったけれど、すべての行が終わり暫しの思考の時間を経た今に至っては、一つ一つの言葉に深い意味があり重い言葉であったことを理解している。
それはともかく、僧による食事作法の説明が始まった。
講師の机には実際に使用される膳と空の椀とが用意されていて、実物を使用しながら食事に際しての注意事項の説明を受けた。
食事中の私語が厳禁なことは言うまでもなく、食べる時には一切の音を立ててはいけない。食べる音も食器が触れ合う音も立ててはいけない。
食べる時には椀を一椀ずつ手に取り、必要量を箸で取って食べたら静かに元の膳にその椀を置く。
出されたものを残してはいけない。
最後にお茶と沢庵一切れとを残しておいて、お茶を各椀均等に音を立てずに注ぎ、小さな椀から順に沢庵で綺麗に洗い、洗ったお茶は次に大きな椀に音を立てずに注ぎ込む。
その椀も同じように沢庵できれいに洗い上げ、次に大きな椀に洗い終わったお茶を注ぐ。
その椀も同じように洗い上げ、最後に一番大きな飯椀にお茶を注ぎ込み、沢庵で洗う。
飯椀も洗い終えたら、音を立てずに沢庵を食べ、飯椀に残ったお茶をすべて飲み干す。
そして、膳の上に元あったとおりにすべての椀を置いて他の人が食べ終わるのを静かに待つ。
僧が食べ終わった椀をお茶で洗うという話はどこかで聞いたことがあったような気がするけれど、今まで自分で実践したことはなかったから、うまくできるかどうか不安に思った。
これは大変なところに来てしまったと思ったのは、その時だった。
後から考えると、このような食事作法は僧のみが行っていることではなくて、昔の日本人ならば誰もが普通に行っていたことなのではなかったかと思った。
日本の古き良き伝統を今も風化させず誠実に守っているのが、僧の生活なのかもしれない。
食事の作法の後に簡単に明日の一日回峰行の話を聞いて解散となった。詳しくは、また夕食の後に説明があるとのことだった。
しばらくの休憩の後、18時から夕食となる。
夕食は、寝起きする棟とは別棟の食堂で摂る。先程、釈迦堂からこちらに歩いて来る時に最初に見た白い建物が、食堂の棟であった。
<居士林食堂>
靴を履いて戸外に整列し、食堂のある建物に向かう。幸いにして、雨はその時にはあがっていた。しかし少しの間のことだったが、寒気が襲い掛かる。さすがに日没後の比叡山の夜気は厳しい。
靴を脱いで端の方から順番に並べて下駄箱に収める。一列に並んで食堂に入ると、まずは食堂の後ろ側に祀られている仏像に向かって一礼をして手を合わせ、奥の席から順番に席に着く。
席は椅子席ではなく畳だから、当然、正座をすることになる。
食事をするということは、自分が生きるために大切な別の生き物の命をいただくということなのだそうだ。
動物に対してはそうだと漠然と思ってはいたけれど、仏教では動物だけでなく植物についても同じ考えであることを知った。
私たちはすべて、御仏の力によって生かされている。
だから、けっして出された食べ物を残してはいけないし、感謝の気持ちを持ってありがたく食べなければならない。
食事の前に研修道場の長である僧からそのような話を聞かされた。食事に際して様々な作法を行わなければならないのは、そのような考えのもとですべてのものに感謝の念を忘れてはならないからなのだろうと思った。
そして、剣道や花道や茶道などの「道」という言葉は、道心という言葉から来ている。その道を極めようとする心のことを道心と言うのだそうだ。
仏教の教えを修めようとするのが、仏道である。食事の前に、ありがたい言葉をいただいた。
席に着いても、食事を目の前にしてなかなか食べることができない。
次に、お茶が入った急須が回されてきて、順番に自分の湯呑みにお茶を注いでいく。このお茶は最後に椀を洗うために使うお茶なので、貴重なお茶だ。
ごはんの量だけは調節することができる。残すことは許されないので、食べられないと思う人は、事前に自分で減らしてもいい。空のお櫃としゃもじが奥の席から順番に回されてきて、多いと思えばその分のごはんを自分の飯椀からお櫃に移す。
続いて、例の小冊子を取り出して食事の前の言葉(食前観)をみんなで読み上げる。
最初に僧が
「われ今幸いに」
と出だしの言葉を読み上げる。
続いて私たちが
「仏祖の加護と衆生の恩恵によってこの清き食を受く、つつしんで食の来由をたづねて味の濃淡を問わず、その功徳を念じて品の多少をえらばじ」
と唱和し、最後に
「いただきます」
と声を揃えてやっと夕食が始まる
実は居士林研修道場に入所して以来、私は一つの違和感を感じていた。
それは、ここに来る前に事前にインターネットで得ていた研修の雰囲気と今日のこの場の雰囲気とがまったく異なっていたからだった。
私が読んだ一日回峰行参加の体験談が書かれた記事によると、夕食の場では参加者が自己紹介などをしながら和気あいあいと食事を楽しんでいる光景が書かれていた。
料理の写真も掲載されていたが、私の目の前にある膳には、①野菜の煮しめ、②胡麻豆腐、③すまし汁、④ごはんの4椀しかないけれど、そのインターネットの写真には、ごはんと汁椀の他に7椀と一人用の鍋までが写っていた。
そもそも、音ひとつ立ててはいけないので隣の人と話すことなどあり得ないし、写真を撮ることなどとてもできるような雰囲気ではなかった。
話が全然違う!
勝手にインターネットの記事を見て想像していた私が悪いのであるが、事前の想像とのギャップもあって、夕食の場は非常に窮屈なものに感じられた。
後から思うと、一日回峰行はほぼ毎月開催されているが、この居士林研修道場で行われる場合と東塔の延暦寺会館で行われる場合とがある。
今月は居士林研修道場で行われるけれど9月の一日回峰行は延暦寺会館で行われた。
インターネットで紹介されていたのは明らかに延暦寺会館だった。延暦寺会館は一般の参詣客も宿泊する場所だから、研修一色という運営が難しいのかもしれない。
私の仮説が当たっているかどうかは、次の機会に延暦寺会館での一日回峰行に参加してみればわかるだろう。
情けないことに、食事の途中から正座していた足が痺れてきた。何とか血流をよくして痺れを取らないと、食事を終わって席を立つ時に不様なことになってしまう。
私は必死で足首から先をこっそりと動かして血流を確保した。
全員の食事が終わると、食後の言葉(食後観)を皆で唱和する。
食前観の時と同様に僧が
「われ今この清き食を終わりて」
と出だしの言葉を読み、続いて皆で
「心ゆたかに力身に満つ、願わくばこの心身を捧げて己(おの)が業(わざ)にいそしみ、誓って四恩(しおん)に報い奉らん」
と唱和し、最後に
「ごちそうさまでした」
で終わる。
一食毎に、食に感謝する気持ちを言葉に表して述べる。
今まで当たり前だと思っていたことでも、よく考えてみるとけっして当たり前ではない。植物たちの貴重な命の犠牲のもとに私たちの生命は維持されている。
食事をする度に感謝の念を忘れずに言葉に出して自らを戒める。
最初は窮屈に感じるだろうと思うが、僧の修業というのは実は根元的なことを実践しているだけなのかもしれない。
痺れる足を気付かれないように引き摺りながら、前の人に従って順番に食堂の外に出る。入室する時と同様に仏様に一礼をして、さらに食堂に隣接する厨房にいる婦人たちに感謝の礼をしてから部屋を出る。
味が濃いだとか薄いだとか文句を言ってはいけない。品数が多いとか少ないとか言ってもいけない。どんな食事を出されても、食事を作ってくれた婦人たちに感謝の気持ちを忘れてはいけない。
実に慎ましい生活を実践していかなければならない。
慣れないせいでもあったのだろうけれど、食堂棟を出て自室の大広間に戻ったところでホッと安堵のため息をついた。
部屋に戻ってしばらく休憩の後、全員が集まって千日回峰行のビデオを見る。
見せられたビデオは、先に引用したNHK特集の「行」というビデオだった。
二度も千日回峰行を満行された酒井雄哉さんのことを記録したビデオであり、何度見ても壮絶としか言いようのない厳しい映像だ。
ほとんどの人は初めて見る映像なのだろう。みんな、神妙な顔をしてビデオに見入っている。
ビデオが終わると、再び明日の一日回峰行の注意事項等の説明となる。
そして、持参するように前もって指示されていた懐中電灯のスイッチを入れて実際に点灯するかどうかを確かめてみた。
いざという時に電池切れで使えないようなことになれば、それこそ命取りになりかねない。
そんな大事な道具であるのに、持参し忘れた人が何人かいたのには驚いた。
さらに、それを予想していたかのように、居士林にて懐中電灯を販売していたのにも驚いた。
居士林では、懐中電灯のほかに雨具も販売していた。
命を守るための道具だから、なしでは済まされないし、それにも拘らず持参していない人が案外多いということなのだろうと思った。
この後は、お風呂に入りたい人はお風呂入り、入らなくてもいい人はお風呂に入る人の分も含めて大広間で仮眠するための布団を敷く作業をみんなで共同で行った。
最初に注意事項として言われたごとく、自分のことは自分でやり、他人のためにも率先して行う精神で、広間一面に布団を敷いていった。
どうも参加者数が多いと思い不思議に思っていたら、実は10月に実施予定だった一日回峰行が台風のために中止となり、その時に応募した人までが今回の一日回峰行に参加しているとのことだった。従って、今回の参加者数は50人ではなく100人なのだそうだ。
ちなみに、本物の千日回峰行は台風が来ても取り止めにはならない。どんな天候であろうと、行かなければならないのが、千日回峰行の厳しい掟である。
しかしさすがに、素人が参加する一日回峰行ではそのような危険なことはできなかったのだろう。台風のために中止になったことを知った。
参加人数が多いため、明日の一日回峰行は男性と女性とに分かれて2班で行動することになるらしい。
全員分の布団を敷き終わり、そのうちの一つに潜り込む。
これから仮眠を取る。起床時間は1時半とのこと。目覚まし時計をかけなくても、時間になったら起こしてくれるようだ。
21時から1時半までだから、4時間半は寝られることになる。しかも、畳の上ではなくて布団の中でだ。
畳の上に雑魚寝することを想像していたので、それよりは好待遇ということになる。
私は布団の中に潜り込んで、目を閉じた。
しかし高揚感からなのだろうか、なかなか寝付くことができない。
やがて周囲の人たちもそれぞれの布団に入り、電灯も消される。
大勢の知らない人たちの中で眠るという経験は、久しくなかったことだった。いびきをかく人が意外と多くて、なかなか眠れないままに時間が過ぎていく。
うとうとしかけては、いびきで眼が覚める。そんなことの繰り返しだった。
そしてやっと少し深い眠りについたと思った頃には、起床を知らせる僧の声が聞こえてきた。
あまり眠ることができないうちに起床時間を迎えてしまった。
しかしこのことは、ある程度織り込み済みのことだった。それよりも、これから始まる一日回峰行への期待と不安とで、私の気持ちは昂ぶっていた。
みんなで協力して寝具一式を元の押し入れに戻して、顔を洗って出発準備に取り掛かる。
当然のことながら、洗面所ではお湯など出ない。凍るような冷たい水を気合いで顔に掛けて洗った。
子どもの頃の、まだガス給湯器などがなかった時代のことを懐かしく思い出した。
今の時代の若者たちはそんな経験もないだろうから、私たちよりももっとつらく感じられたことだろう。
雨が心配だった。
雨具を持って行くかどうかで迷っていたからだ。付き添いの僧に聞いてみると、今は雨は降っていないとのことだが、雨具を持って行くかどうかの判断は自分でするようにとの回答だった。
昨日の天気予報では天気は回復傾向にあったので、迷った末に雨具は置いていくことにする。
そして、いよいよ出発の時間となった。
寒さが一番心配だったので、アウトドア用の厚手のコートにネックウォーマー、それにニットの帽子を被って万全の格好で外に出た。
いよいよ、一日回峰行が始まる。