Ⅱ江戸編 2. 彦根藩中屋敷跡(ホテルニューオータニ)
東京は坂が多い町である。由緒のある主要な坂には、東京都の教育委員会が坂名の由来となったエピソードなどを記した標柱を設置しており、それらを見ながらぶらぶらと気の向くままに歩いてみるのも、私の東京の街の楽しみ方の一つである。
赤坂から四谷に向かう谷沿いの道を進むと、紀尾井坂という標識が目に入る。地名も、同じく千代田区紀尾井町である。元々江戸にあった地名とは思えない不自然な地名である。たしか江戸時代にこの地域にあった3つの大名屋敷の頭文字を取り、明治の時代になってから作られた地名であると記憶していた。
「紀」は紀州であり、「尾」は尾張であることは即座に思い浮かんだ。どちらも徳川御三家である。では最後の「井」はどこか?不覚にも私は、即座に思い浮かべることができなかった。しかしそれが井伊家の「井」であることに思い到った時に、私はすべての事情を了解した。
半蔵門に程近く、甲州街道のほぼ起点に位置するこの土地は、徳川幕府にとってと言うか江戸城にとっては、搦め手を守備する戦略的重要地域であった。そこを最も信頼できる御三家と譜代大名に守備させる必要性があったということに説明の余地はない。
ならばいっそのこと、紀尾井ではなく紀尾水とすれば良さそうなものであるが、御三家の水戸藩に代わって井伊家が据えられたところに、徳川の井伊に対する篤い信任があったのであろうと想像する。
余談になるが、紀尾井町にある清水谷は、自然の湧水があることから付けられた地名だろうが、今でも都会のオアシスとして、清らかな水と青々とした緑の安らぎを供給してくれている。都会の喧騒に疲れた心を一時の間癒すには、もってこいの場所である。
この清水谷は、明治11年(1878年)5月14日に明治の元勲大久保利通が暗殺された場所としても知られている。今も「贈右大臣大久保公哀悼碑」と書かれた6mを越す大きな顕彰碑が建立されているので、すぐにそれとわかる。当時は人通りも疎らな、鬱蒼と木々が生い茂る場所であったのかもしれない。
紀尾井町には、大きな建物が3つある。赤坂プリンスホテル、ホテルニューオータニ、それに上智大学だ。江戸時代のこの辺りの地図と見比べてみると、現在の姿と見事なまでの一致を見る。私は、こうして江戸時代の地図と現在の地図とを見比べ重ね合わせ、当時の江戸の街並みを想像しながら歩くのが好きだ。
すなわち、今の赤坂プリンスホテルの敷地がほぼそのまま紀州徳川家の麹町邸があった場所であり、ホテルニューオータニが彦根藩の中屋敷、そして上智大学が尾張徳川家の屋敷があった場所となる。江戸時代の町割りがそのまま今にも残っているところが、おもしろい。
先に私は、永田町にある彦根藩の上屋敷跡に赴いた。そして今は、中屋敷跡にいる。上屋敷が江戸に出ている諸藩の公邸であるとすると、中屋敷は私邸の位置づけになるものか。直弼が彦根藩主として居住していたのは上屋敷である。世子であった頃には中屋敷に住んでいたことが、小説に書かれていたように記憶している。それが真実であれば、今はホテルニューオータニとなっているこの地にも、直弼の足跡が刻まれていたことになる。
地方の大名が江戸に上屋敷、下屋敷などいくつもの屋敷を保有していた背景には、地震等の災害で上屋敷にもしものことがあった際に、そのバックアップとしての役割が期待されていたようである。建物等に大きな被害が生じた場合に、今以上に復旧までに莫大な時間を要していたので、すぐにでも上屋敷の代替となるべき別の建物が必要だったということであろう。
この中屋敷にはどのような人が住んでいたのか?小説の中では直弼の妾が住んでいたように記憶しているが、私には詳細な情報がない。今後はその辺りの事情を研究してみることも、面白いのではないかと思っている。
憲政記念館や国会前庭洋式庭園となっている上屋敷跡と比べて、わずかに彦根藩の屋敷跡としての面影を残しているのが、ホテルニューオータニの日本庭園である。この日本庭園そのものは井伊家から伏見宮に移り、戦後外国人の手に渡るところをホテルニューオータニ創業者の大谷米太郎氏が譲り受け、整備し直したものだそうで、直弼が見たであろう庭園の姿そのものではない。
しかしながら、日本庭園内に点在する幾多の石灯籠のなかには、当時の面影を伝えているものもあるとの由で、私は起伏に富んだ散歩道を上下しながら、ひたすら石灯籠を求めて歩き回った。
特に説明書きはないけれど、どれも大きくて威容のあるものばかりであり、このうちのいくつかを直弼も見たかもしれないと思うだけで、胸がじーんと熱くなるのを感じた。ホテルニューオータニの日本庭園は、宿泊者でなくても誰でも散策することができるので、是非お勧めしたい場所のひとつだ。
彦根から歩を始めて、直弼の足跡を辿って江戸に来た。彦根に生まれ育った直弼にとって、江戸の街や人々はどのように映ったであろうか?公人として、あるいは私人として直弼が過ごしたであろう土地を訪ねて、改めて直弼の数奇な人生を想った。