百済寺樽 3
百済寺樽
田植えの前に
約2週間前の4月25日に、百済寺樽プロジェクトの最初のイベントとなる田植えの案内メールが届いた。
ところが、比較的簡単な文面の比嘉さんからのメールを見て、私は考え込んでしまった。
田植えの予定日は5月5日(土)で、雨天の場合は翌6日(日)に延期になるとのことが書かれていた。
雨が降らずに予定通り5日(土)に田植えができればまだいいけれど、雨の影響で翌6日(日)に日程がずれ込んだ場合、ゴールデンウィークのさなかのことであるので交通機関の予約が難しくなる。
しかし天候のことを今あれこれ考えても仕方がない。今私ができることは、まずは5日に田植えが行われることを前提に交通機関の予約を取ることだと思った。
ところが、いきなり難題が私の前に立ちはだかる。
集合時間が9時40分とのことだったので、まずは9時40分に間に合うように名古屋駅からの高速路線バスの運行時刻を確かめた。
バスは名古屋駅の新幹線口から1時間に1本、毎時15分に出ていることがわかった。
8時15分発のバスに乗ると百済寺のバス停到着時刻が9時44分となり、集合時間の9時40分には間に合わない。始発の7時15分のバスに乗らなければいけないことがわかった。
ところが新横浜を6時に出発する一番早いのぞみ号に乗ったとしても名古屋駅に着くのが7時24分になってしまうから、間に合わないではないか。
朝一の新幹線でも間に合わないということは、前日から行って泊まるか夜行バスを使うかしかない。
あいにく、前日の夜には予定が入っていた。そうなると体力的には非常にきついけれど、その予定が終わった後に夜行バスで名古屋に向かうしかない。
夜行バスを調べてみると、東京-名古屋間で驚くほどたくさんの便が出ていることがわかった。しかしゴールデンウィーク真っ只中の期間のバスをほんの2週間前に予約しようというのだから、相当に無理があった。
予約しようとするバスはどれも満席で、全然予約することができない。このままでは田植えを欠席せざるを得ない。
田植えの日程をもっと早く知らせてもらえていればとの思いが頭をよぎったが、苗の生育具合を見極めての日程決定であることを考えると、2週間前というのはやむを得ないと思い直した。
いきなりの田植え欠席も仕方がないか…。
それでもなお諦めきれずに、私は検索サイトを変えて名古屋行きの夜行バスを検索した。そうしたら、1台だけ、23時20分に東京駅鍛冶橋駐車場を出て翌朝5時35分に名古屋駅に到着する夜行バスに僅かだが残席があるのを見つけた。
急がないとその席も埋まってしまうと思い、すぐにカード決済をして席を確保した。最近は3列のゆったりとしたスペースでプライバシーも確保された座席レイアウトの夜行バスも多いのだが、私が予約したバスは従来型の4列のバスだった。
しかしこんな時なので贅沢を言ってはいられない。まずは行きの交通手段が確保できたことに安堵した。
これで雨さえ降らなければ、田植えに参加できることが確実になった。
次は帰りである。
終わりの時間がわからないので、名古屋までの高速路線バスを予め予約しておくことができなかった。タクシーでJRの能登川駅まで行き、米原駅から新幹線で帰るコースを選択した。
予想通り新幹線はすべて満席だった。どうしても当日の夜に帰らなければならない用事があったため、選択の余地はなかった。自由席で帰るしかない。
前日夜行バスで移動し、日中は田植えをして帰りは新幹線で立ったままかもしれないというのは、来年60歳になる私にとっては非常に厳しい行程となるが、それでも田植えに参加したいとの思いの方が強かった。
ただし、不運にも5日が雨になり田植えが6日に延期となった場合は、もう完全にお手上げである。払い込んだ夜行バス代は戻ってこないし、5日夜の夜行バスを予約することは現時点ではもう完全に不可能である。
運を天に任せるしかなかった。
ちなみにこの時点でインターネットによるゴールデンウィークの天気予報を見てみると、5月5日は雨の予報となっているサイトもあれば晴れの予報となっているサイトもあり、要するによくわからないという状況だった。
百済寺へのアクセスの問題以外にも、対処しなければならない課題があった。それは長靴である。
田植えをするので長靴が必須のアイテムであるとは元々思っていた。今どき家に長靴なんてないから、買わなければならないとは考えていた。
ところが、比嘉さんからのメールには、普通の「長靴」ではなく「田植え用長靴」を持ってくるようにとの記載があった。
長靴のほかに田植え用長靴というものが世の中にあることを初めて知った。
比嘉さんからいただいたメールによると、田植え用でない長靴だと田の中で足が抜けなくなってしまうのだそうだ。裸足での作業ももちろん危険とのこと。
田植え用の長靴はどこで売っているのだろうか?
そもそも田植え用長靴の存在を知らなかったくらいだから、どこで売っているのかもわかるわけがない。
私は恐る恐るインターネットで「田植え用長靴」を検索してみた。
検索でヒットがないのではないかと心配だったのだが、意外なことに山ほどヒットした。世の中にこんなに田植え用長靴なるものがあるということを初めて知った。しかもピンからキリまであって、2.000円前後のものから10,000円近いものまで様々な種類のものがあった。
値段の違いがどこにあるのかわからなかった。私はまったくの初心者であるし、来年以降田植えに参加できるかどうかもわからない状況なので、まずは一番安い長靴を注文することにした。
ところがまた問題が発生する。
最初に注文しようとした一番安いサイトの納期を確かめてみたら、自宅を出発する5月4日までには到着しないことが判明した。在庫があってすぐに発送すれば十分間に合うはずなのに、間にゴールデンウィークが挟まるからだろうか?
せっかく交通手段の予約が取れても、長靴が手に入らなければ田植えはできない。
仕方がなく、他のサイトを探してみた。いくつか探していくうちに、すぐに発送してくれそうなサイトがあったので、一番安い値段ではなかったけれど、そこで田植え用長靴を注文した。
とにかく初めてのことなので、戸惑うことが多かった。
その他の持ち物は、タオルや着替えや帽子などだったので、問題になるものはない。田植え用長靴も無事に到着して、あとは当日に雨が降らないことを祈るだけとなった。
ちなみに田植え用長靴とはどんなものか、試しに履いてみた。
当然のことだが、長さは普通の長靴とは異なり、膝の下くらいまである長い靴だった。脛の部分は柔らかくて薄い素材でできている。素足のままで履いてみようとしたけれど、なかなか足が入らなかった。
もしかしたら小さいサイズの靴を注文してしまったのではないかと一瞬不安が頭をよぎったが、完全に足が入ってしまうと足元の大きさにはそれなりの余裕があった。
黒いゴムのバンドが付属で付いていた。足首の辺りとつま先とを絞るようにして押さえつけて脱げないようにするものと思われる。
こんなものかと感触がわかったので脱ごうとしたら、脛の部分が長いので容易に脱げない。靴下を履いていればもう少し滑らかに脱げるのかもしれないが、慣れないこともあり当日は長靴の着脱にもかなり苦労するかもしれないと思った。
百済寺樽
いざ、百済寺へ
事前の準備にかなり苦労をしたけれど、出発してから集合場所である百済寺町公民館まではスムーズな行程となった。
当初はサイトによって結果がまちまちだった天気予報も、5月5日が近づくにつれて精度を増していき、ほぼ雨は降らないであろうとの予報に集約されていった。
5月4日(金)の夜、私は指定された夜行バス乗り場がある東京駅鍛冶橋駐車場に向かった。東京駅という名前は付いているけれどむしろ隣の有楽町駅の方が近いくらいの場所で、JRの線路を挟んで東京国際フォーラムがすぐ正面に見える場所にあった。
東京駅の長距離バス乗り場と言うと八重洲口の駅前をすぐに想像するのだが、八重洲口だけでは需要を賄うことができず比較的最近になって鍛冶橋駐車場が使用されるようになったのではないだろうか。
私は鍛冶橋駐車場の存在を今まで知らなかった。
こんなところに本当にバス乗り場があるのだろうか?不安な気持ちになりながら歩いていくと、突然、大勢の人が吸い込まれるように広場の入口のようなところに入っていくのが見えてきた。
そこが東京駅鍛冶橋駐車場だった。夜の遅い時間帯だというのに、そこには驚くほどたくさんの人たちが出発するバスを待っていた。夜行バスを利用する人がこんなにも多いことに私は驚いた。
出発案内の掲示板には、名古屋だけでなくいろいろな都市に向かって発車する予定のバスの便が数珠つながりに表示されている。同じ時刻に出発する行先の違うバス便がたくさんあったので、乗り場を間違えないようにする必要があった。
私が乗る予定の23時20分発名古屋行きのバスの到着がコールされた。
指定された乗り場に行き、係の人から座席番号を告げられ、私は夜行バスに乗り込んだ。夜行バスに乗ることなどほとんどなかったので、少し不安があったが、同時に好奇心もあった。
どんな人が夜行バスを利用するのだろうと思って乗り込んでくる人たちを観察していると、若い人が圧倒的に多い。飛行機や新幹線より値段が安いことが彼らにとって大きな魅力なのだろうと思った。
カップルでバスに乗り込んでくる男女も多かった。
体力はあるけれどお金はない。そういう若い人たちにとっては、夜行バスは便利な長距離移動手段なのかもしれない。
そんななかに60歳を目前にしたおじさんが一人で深夜バスに乗っているのは、反対に彼らから見たら奇異な存在に思われたかもしれない。
バスはほぼ定刻に東京を出発し、途中横浜や海老名などで更なる乗客を乗せて、深夜の高速道を名古屋に向かってひた走っていった。窓には遮光カーテンが掛かっていて、運転席と客席との間もカーテンで遮断されていたから、今どこを走っているかはわからない。
途中2ヶ所のサービスエリアで休憩を挟み、バスはほぼ定刻で名古屋駅前に到着した。
熟睡できなくて十分な睡眠が取れた状態とは言いがたかったが、それはある程度予想していたことだった。
バスを降りると、朝の光が眩しかった。思いのほか順調に名古屋まで来られたことにまずは安堵した。次の百済寺までの高速路線バスの発車が7時15分だからまだ1時間半以上の時間の余裕がある。
さすがに名古屋駅も人通りは疎らで、朝ごはんを食べられるような店が開いている気配もない。新幹線口の駅前に唯一開いていた24時間営業の吉野家で朝の定食を食べ、開いたばかりの高速路線バスの切符売り場で予約していた百済寺バス停までの切符を買い、バス乗り場でバスが来るのを暫く待った。
名古屋駅新幹線口発京都行きの高速路線バスは、7時15分が始発である。その後、毎時15分にバスが出る。名古屋から京都に行くのなら新幹線を使えばいいので、高速路線バスに乗る人はみな、私のように途中のバス停で降りる人なのだろうと思った。
やがて出発時刻が近づいてくると、思っていたよりも多くの人がバス停に並んだ。ほとんどが女性であることに驚いた。このうちの何人かは私と同じ目的で百済寺樽の田植えに参加する人なのだろうか?
持ち物や服装からでは判断がつかない。どの人が一緒なのかなと思いながらバスに乗り込む。
高速路線バスに乗るのは初めてだった。名古屋から名神高速に乗り、岐阜を経由して滋賀に入る。いつもの新幹線の車窓から見ているのとはまた違う景色で、私にはとても新鮮だった。
途中の関ヶ原から向こう側は何度か訪れたことがある土地であり、名神高速道路も走ったことがあった。
多賀のサービスエリアで一時休憩をして、再び走り出してから百済寺のバス停まではすぐだった。
驚いたことに、百済寺のバス停でバスを降りたのは、私一人だった。
名古屋のバス停で一緒に田植えをするのかと私が(勝手に)思っていた人たちは、どこへ行く人たちだったのだろうか?
私以外にも名古屋方面から田植えに参加する人がいるだろうと思っていたので、百済寺のバス停でバスを降りたのが私だけだったことは非常に意外だった。このバスに乗っていなければ集合時間に間に合わないから、名古屋方面からの参加者は私一人ということになる。
心細さを感じながら、バス停から百済寺町公民館に向かう山道を歩いて行った。案内によると歩いて20分ほどのところだと書いてあったが、その間ずっと上り坂だとは書いていなかった。
百済寺バス停
道端に薄桃色の山つつじの花が散見された。ややピークを過ぎていたけれど、新緑の木々の合間にいいアクセントとなって咲いている。長閑でほのぼのとした山道だ。道端に咲く芯が黄色で白い花びらの花はマーガレットだろうか。
それにしても、雲一つない真っ青な空に遠くの山々の緑が鮮やかに輝いて見える。
いつしか私は坂道を上っているということも忘れて、目の前の景色に目を奪われながらゆっくりと流れていく時間を楽しんでいた。
やがて「足湯カフェ」の看板が見えてきて、その先に明らかに民家ではない切妻屋根の大きな建物が見えてきた。ここが百済寺町公民館なのだろう。
近づいていくと、その入口のところに一人の女性が佇んでいた。
比嘉さんに違いない。インターネットでしかお顔を拝見したことがなかったけれど、すぐに比嘉さんだとわかった。
挨拶をして自己紹介をする。感じのいい人だ。初対面でもすぐに仲良くなれるような人を引き付けるものを持っている。
しばらく会話をしているうちに、今日の田植えに参加する人たちが三々五々集まってきた。ほとんどが車で来られた方だったけれど、中には八日市駅から約10キロの道を1時間かけてランニングして来られたという男性もいた。
百済寺町公民館
今年のオーナーは全部で17人で、そのうち今日は11人が参加予定とのことだった。
大半が滋賀県内に在住の方であるが、なかには福井県から車で来られた方もいた。地元のスタッフの方たちは、胸に「百済寺樽」と書かれた水色のTシャツを着ていた。私にとっては全員が初対面の方たちなので、一度紹介されただけでは誰が誰なのか頭の中に覚え込むのは難しかった。
昨年から引き続いて参加していてすでに顔見知りの関係にある人も多くいて、その輪の中へ後から飛び込むのはなかなか勇気が要ることなのだが、比嘉さんの笑顔がそんな心理的障壁を瞬時にして解消させてくれた。
それに、今日集まった人たちの間には共通項がある。みんな日本酒が好きだということである。8ヶ月後の新酒試飲を楽しみにして集まってきた酒好きだから、最初は硬い挨拶から始まっても打ち解けるのに時間はかからない。
やがて集合の9時40分になった。
男性は公民館の2階に案内されて田植えの服装に着替える。私は汚れてもいいように運動用の短パンとシャツに着替えて日除けのための帽子を被った。そして玄関で例の長靴を履く。
真っ青な空の下の公道を長靴を履いて歩くというのは不思議な感覚だった。
女性は比嘉さんたちが用意した早乙女の衣装に着替えるために、一足先に田んぼに向かっていた。