片桐且元公の里 須賀谷という地名の由来
五大山城の一つ、小谷城は城主浅井亮政・久政・長政 3代の居城であった。
浅井長政は築城の折、この地を家臣の屋敷地と定め地名を選んだ。
家臣の片桐孫右衛門(且元の父)は、この谷に鷹の巣をかける岩があることから巣ヶ谷と改めた(今の須賀谷)。片桐且元公は、1556年(弘治2年)に生まれこの里で育った後、羽柴秀吉の小姓として仕え賎ヶ岳の戦功をはじめ豊臣家の重臣として多大の功績を残し大坂夏の陣後、京都で病死(60歳)、京都の玉林院に葬られる。
神明宮:城主の久政が天文17年(1548年)に建立し現在は当地の氏神として崇拝されている。
観音堂跡は、小谷城3代の守り本尊である仏像が落城での難を避けるため且元公らが城主長政の命を受けこの地に運び降ろし後、ここで祀った堂跡とその石積である。