石田三成ゆかりの地(再起を信じて辿った山中の道 谷口)
谷口の杉林の道。三成は関が原に敗戦後、この道を逃げ、母の里(木の本の古橋)へと向かいました。どんな気持ちだったのでしょう。三成の残した功績は、秀吉の刀狩令、太閤検地を実施したという点にあります。当時農村には刀が氾濫しており、罪のない農民が武士に殺されてしまうことが多かったのですが、三成は、武士に刀を捨てて平民になるか、中央に行って武士を続けるかの選択をさせ農村と中央部とを分離したのです。これは、今でいう構造改革なのです。
三成は母の里(古橋)へ逃げる前の晩、谷口にある民家にかくまってくれるように頼みました。その家の人たちは、三成を丁重に迎え入れ、畳をまくって床下に三成をかくまりました。三成はこの家の人たちがしてくれた親切に感謝し、石田の姓を与え、以後末永く、石田姓を守ってくれるようにと言いました。同時に、身につけていた短刀と鳩の家紋も与えました。今も谷口には石田さんがおられ、その家では三成が居た場所はもったいなくて近寄れないとし、石田神社(右)として今も祀っておられます。